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施設を探し始めるまで

2.介護施設

要介護3だった母の施設入居を考え始めた事を、以前投稿しました。その時の投稿はこちら。→【7度目のひとり歩きのあと】

我慢の限界

考えたくないけど、考えなきゃいけなくなった原因である父には、もう我慢の限界でした。ひとり歩きをさせないように我慢していたのに、その甲斐がなかったら? そう、我慢しなくなりますよ。

我慢できなかったので、わたしはずっと父に対して不満顔…、だったんでしょうね。父に「何だ、その顔は!」って言われてました。でもわたしは、態度も顔も繕う気は全くありませんでした。その当然の結果として、以前は母に向けられていた暴力が、わたしに向けられるようになりました。それは改められる事はなく、逆にエスカレートしていきました。

ついには命の危険を感じる事態となり、「家を出なきゃいけない」と思うようになりました。父も事あるごとに「出て行け!」と言いました。わたしも売り言葉に買い言葉で、「出て行く。今すぐは無理だから準備できるまでは待って。」と言い続けました。

現実的に冷静に

そんなこんなでしばらくしたら妹から連絡がありました。「お父さんに、お母さんの施設を探すようにって言われたんだけど。」

へえ、なるほどね。わたしが一人で出て行くと思って、母の処遇を一応考えたらしいです。

まあ、でも二人で出て行くのは厳しい。

6年前の「家族会議」で話し合った事を思い出しました。父が介護放棄を宣言した当時のケアマネージャーが、その会議で提案したのは2つ。

1.父と母を離婚させて、母をわたしの扶養家族にし、当然わたしのお給料では二人分の生活費と母の介護費は賄えないので、生活保護の制度を一部利用する。離婚の慰謝料として実家は譲ってもらったりして住居は確保する。(父には一人暮らしをしてもらう。)

2.母を施設に入れる。

当時、父は2番を選んだわけなんだけど、父の希望通りになったのに施設の利用料が高すぎると文句を言い始めて…、(その後の経緯はこちらの投稿で)で、小規模多機能型居宅介護の通う事になったんです。

今でも「1番」は、父のお気に召さないようですねえ。わたしを家から追い出して、母も追い出して自分一人(あるいは誰かと二人)で自宅に住んでいたいようです。そう解釈しました。(そう解釈する根拠は、一番下の「関連記事」へ)

母にも離婚の意思はなかったし。

母の施設入居を考え始めてはいたけど、こんな形で事態が進むとは…。

しょうがない。父のいる家で、母の介護はもうできない。現実的に、冷静に考えると母を施設に預ける他に思い付きません。

わたしは妹と手分けして、母が入居できる施設を探し始めることになりました。

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【母を遠ざけたかった本当の理由】

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